はじめに わたしのこと

はじめに
このブログは、最近テレワークという言葉が、多く使われるようになったので、「テレワークといえば、IT業界でしょう」と思い、書くことにしました。

パソコンとインターネットを使ってどうやって仕事を進めるのだろう。
在宅勤務って どうやってお金にしていくのだろう。
どんなことを考えて来て、経験して 在宅勤務で仕事を続けられるのだろう。

そんなヒントがIT企業にはあるような気がします。とりあえずIT企業の成り立ちや、働いている人たちの労働環境やスキルアップなど 知っていることを書いていきます。
これからこの業界で働く人の参考になる情報も書いていきますが、他の業界の人でも少しでも、お役にたつことや気づきがあれば幸いです。

SEとかプログラマー は 従業員・販売店員と置き換えて読んでいただいても良いと思います。
PM(プロジェクトマネージャー)SI(システムインテグレーション) は ディレクター、管理職、店長と置き換えてもいいかもしれません。
日本で働く皆さんにとってもお役に立つ情報にしたいと思います

 

わたしのこと

今から30年前、バブルの末期(その頃は思っていませんでしたが)にIT企業3社の内定を受け結局NECに入りました。同期は1000人を超え会社の規模に驚きました。その頃のNECは、PC-8001シリーズという大学生なら誰でもが知っている人気のパソコンメーカーでした。
大手メーカーでしたがパソコンを一般消費者に普及させた影響は大きくて、客先からの問い合わせも多くて、社員はいつも足りない状況でした。契約社員も多くいました。契約社員の働き方について深く考えたことはありませんでしたが、そのころ派遣法という法律が出来て派遣社員は3年で正社員になれる、2重派遣禁止など基本的な法律の勉強会がありました。
そのころのNECの外部発注するSE単価は、160万円から200万円。インストラクターでも80万は支払っていたました。初任給は15万円前後の時代でしたので、新卒者を確保して派遣を行う会社が激増しました。
その後 私は10年務めた会社を辞め独立し、2社のメーカー系のIT企業へ再就職をしました。 しばらくして、今度はリーまんショックがおきました。この時は何が起きているかわからないうちに仕事がどんどん減っていきました。仕事は次々にキャンセルになり、社員の雇用や教育などの計画もたたない数年がすぎました。
ニアショア(国内の地方都市での開発)、オフショア(海の向こう つまり海外での開発)と言われる低コストで外部委託を行われるようになり、2010年代には、上級SE(システムエンジニア)でも70万円/月に届かない発注金額で働くことも多くなってきました。私の古い友達の何人かは、今もSEをおこなっています。実は、SE(システムエンジニア)の開発能力のピークは35から40歳頃と言う人もおり、年をとると、生産性が劣り、年収が減っていくことに頭を悩ませている同僚もいます。
そしてかつての花形産業(自分だけがそう思っているだけかもしれませんが)、新3Kと呼ばれ若者に見向きもされない業界になってしまいました。